AI生成動画を活用し、ブランドアイデンティティを伝えるショートムービーを作りました。AIは試験段階ですが、素晴らしい音楽が特徴なので、ぜひ音を出してお楽しみください。

このプロジェクトは、パーソナルAIの研究開発に従事するとともに楽曲制作をする研究者brightwaltzの音源からインスピレーションを受けています。彼の音楽が、このビデオの世界観の構築に大きく寄与しました。ありがとうございます。http://brightwaltz.com

AIが得意とする水や光の表現を基に、「雨の降る夜のカフェ」をイメージしました。ストーリーが即興的で後から付け加えられたような形ですが、それも魅力の一つかもしれません。皆様に楽しんでいただければ幸いです。

テーマは「人は機械を愛せるか」という問いです。これは大切な友人である医師が「誰が作ったとか、その制作の背景とかも含めて作品を好きになるのが自分だから、AIの作品と聞くと、そうなんだって思ってしまう自分がいる」という言葉に触発されたものです。

AIという機械が作りだすイメージについて

AI生成画像は、インチキ臭さとリアリティの狭間にあるギリギリ過渡期的なところが面白いと思います。

やっぱりよく見ると偽物と分かってしまうというか、人間じゃないという不安感を感じさせるというか。 その意味ではまだ不気味な谷を超えきれていないんじゃないか。

これが完璧になったら、多分私は飽きます。

でも油絵とかで描かれた絵画や、機械であるカメラが撮った写真と、AIで生成されたものは何が違うのか。
あるいは我々は違うと感じるのか。
AI生成画像を「盗人」として、拒否反応を示す人達も少なくない。

いわゆる「作品」には撮影者がいて、画家がいて作者がいる。だが、意味を与えるのは鑑賞者であり、作品を作るのは少なくとも半分は「観る人」です。

明らかに人間とは違う、人形を愛する人たちもいらっしゃるし、不本意な肖像画を描かれたり、写真を撮られた人もたくさんいらっしゃる。 価値を決めるのは生き物かどうかじゃないし、作家だけでもない。

AI生成画像に誰かが本気で愛するような(例えて言うならば)魂が宿る「作品」となるかどうかっていうのは、いわゆるAIがAGIと呼ばれるような人間を超える汎用知性に到達する可能性を見ているような気がします。